七夕の短冊って、決意表明のためにあると思うんだ。

こんにちは、いなむらさえ(@sae_inamura)です。

今日は七夕、織姫さまと彦星さまが1年分の想いをのせてやっと再会を果たす日ですね。
現在はどんより曇り空ですが、無事2人は会えるのでしょうか。

七夕といえば、短冊に願いごとを書いて笹にかける、という慣習があります。

皆さんも、なにかお願いごとを書いて笹につるした経験はあるのではないでしょうか。
大人になった今は随分と疎遠になってしまったけれど、街をすこし歩いてみると、色とりどりの短冊で彩った笹がちらほらと散見できますね。

昨年は、友人同士で集まって例の行事をこなしました。
ですが、いざとなると願いごとがまったく浮かんでこない。
普段は欲に溢れているのに、お参りとか、短冊とか、クリスマスとかになった瞬間、途端に「わたしはほんとうは何が欲しいのか」と考え込んでしまうのです。
(お参りは本来神さまにお礼をして決意を伝えるためにあり、願いごとをする場ではない、というのを聞いたことがあります。でもお願いごとしようとしてしまうのは、強欲だからなのでしょうか。)

迷って迷って、結果「健康に1年を過ごせますように」なんてものになってしまうことがほとんど。
それも素敵なことだけれど、なんだかもったいないな、と感じてしまうのです。
きっとそれは、今のわたしが健康状態に満足しているから。

じゃあ、現状で満足していない部分が何なのかを考えてみると、「早く卒業して働きたい」とか「一人暮らししたい」とか、今のわたしではどうしようもない部分が多いんです。

さて、どうしましょう。

そう考えて、結局わたしは願いごとをするのを諦めました。
短冊のような「お願いごとをするイベント」の時には、「決意表明」をするようにしたのです。

だから今年の短冊には、
「ブログの更新を1日も欠かさずやります。」とか、
「デザインの勉強を今月中に始めます。」とか、
そういう言葉が並ぶのだと思います。

織姫さまと彦星さまは、せっかく愛し愛される人と会えるのだから、そんな時くらいはそっとしておかないといけませんね。
たいていの願いごとは、自分の実力で決まってしまうもの。
天へ向かって願う暇があるのなら、せっせと自分の力を磨こうではありませんか。

いなむらさえ。